『金輪際』 車谷長吉

by KURUMATANI Cyokitsu

ISBN-4163187901

1999年/文藝春秋
1524円+税
280頁
装画:胎蔵界曼荼羅図
(東寺所蔵/撮影:便利堂)
装丁:関口聖司
満を持して車谷長吉に手を出した。そう、去年のマイベスト『赤目四十八瀧心中未遂』の作者である。なかなか二冊目に手を出せなかったのは、『赤目〜』があまりに素晴らしかったので、次があまり良くなかった場合の落胆を考えたのと、なによりも続けて読んだりしたらこの人の文章のあまりの凄みに耐えられないのではないか、と思ったからなのだ。
読み始めると、おや、どうもこれはエッセイ(という言葉がこんなにも似合わない人は珍しい)のようだ、図書館では小説とエッセイは別の棚にあるはずなのだけれど、間違えたのだろうか? ともかく想像と違うものなのだから、がっかりだ。しかしまあ読み続ける。結局のところ、短編小説とエッセイが混ざったものだったのだけれど(こんな短編集ってあり?)それはまあよい。収録されている七つの短編はフィクションのもの、ノンフィクションのもの、どちらともつかないものと、いろいろなのだけれど、ひとつ読むたびに、いったん本をおいて物思いにふけってしまうようなそんな作品達なのだ。
車谷長吉という人は、私からもっとも遠いところにいる人なのではないか。年代も生まれ育った場所も全く違うのだけれど、そんなことじゃなくて、例えば今は東京に住んでいるらしいから、それこそ普通なら道ですれ違う、なんてこともあり得るのだろうけれど、この人の場合は全くない気がする。同じ時間と場所を共有することなどあり得ないと思えるのだ。そのくせこの人は私の気持ちの深いところに直球を投げてくる。姑息な変化をせず、ただまっすぐに飛んできた球は、受け止めるとまるで砲丸のような重さになっていて、立っているのもやっとである。とても何冊も続けて読めるような本ではないのだ。
表題作「金輪際」のなかで、
この世に四十数年、生きていると、むかし親しくしていたのに、いつしか行き来の絶えてしまった人の数は多い。(中略)併し中に、近況を知りたいと思う人が二、三ある。あるいは、たった一度だけ逢った人の中にも、そういう人はある。思う度合いにはそれぞれ濃淡があるが、いずれも、も早こちらからは連絡の取り様のない人である。
これでどんな人のことを思い出すだろうか。もしも街頭でインタビューなどされたら、私はへらへらと笑いながら「小学校五年生の時に隣の席だったN君。初恋の人なんですけど、私が転校することになったと言ったら、彼はその日家に帰るなりお母さんに『僕も転校する!』と言ったそうですよ。お母さんがうちの母に電話してきましたから」なんてことを言うに違いない。しかし、しかしである。
たとえば、こういう人である。
に続いて二人の人物が紹介されるのだが、これがまた衝撃なのだ。なんでこんな人に会いたいのだ、と思った次の瞬間に、本当は私が会いたいのはN君などではないのだ、甘い記憶とともにある人には会いたくなどない、会いたいのは今さら何の弁明もできずに俯くしかない人であり、もっとも鋭い痛みを味わあされた相手であって、それはまた「金輪際」会いたくない人であるのだ、と思い知ることになる。
この後に出てくる短編小説「児玉まで」は『赤目〜』を思わせる雰囲気で、初出を見ると昭和58年とあるから『赤目〜』よりも前だということになる。この世界が発展していったのだな、としんみりと読み終え、と思ったら最後にもう一本「変」というのがある。この「変」がそれはもう衝撃なのだ。(以下ネタバレあり。本書を読もうという方は決して以下一段落を読んではいけません
平成7年という年は、阪神淡路大震災があり、地下鉄サリン事件があり、と日本にとって凶事の年であったのだけれども、著者はその年にリストラされ、心臓発作で倒れ、胃癌が見つかり(検査の結果潰瘍であったが)、と凶事の極みであった。が、『漂流物』が芥川賞の候補となり、下馬評では有力とされる。しかし落選するのである。理由は、震災やサリン事件で世の中が打ちひしがれているときにこのような殺人小説はふさわしくない、とのことであった。翌日彼は何をしたか。五寸釘を買い求め、紙のひとがたに選考委員の名前を書き丑の時参りに行ったのだ。あまりの驚きに私は本を持ったまましばし呆然としてしまった。しかも、その時の芥川賞は「毒にも薬にもならない平穏な日常を書いた」保坂和志であったのだが、そのほぼ2年後に彼は保坂氏に会うことになるのだけれど、「忌む感情は少しも薄れなかった」とある。(ネタバレここまで
これで気になるのは、彼は『赤目〜』で直木賞を取ったときにはどんな反応をしたのだろうか?ということ。
生きるということは、どろどろとおぞましいものを抱えることなのである。しかし私たちはそれを隠して、または気付かないふりをして軽薄に生きているのだ。この人はそのどろどろを平気で垂れ流している。それに驚き気を取られているうちに、いつの間にか私のどろどろは引き出されて、目の前の床一面にぶちまけられているのだ。あとはもう、本を手にしたまま立ち尽くすほかは、ない。

2000年05月26日(金)04:20 by PINO - Category: bookguide
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1999-12-14

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