ISBN-4309005608
1989年/河出書房新社
1553円+税
260頁
装丁:田淵裕一
ブコウスキーの後遺症は思いの外ひどかった。前回の文章には嘘がある。本当は町でいちばんの美女の生き方を悲しいとも辛いとも思わなかった。最初の短編は、想像とのあまりのギャップにあぜんとするばかり。そして後はひたすら不快感と嘔吐感。忘れたい悪夢のような本。正直にそう書けばよかった。書けなかった自分の自信のなさに自己嫌悪気味。
不快な本を読んだ次の一冊は、細心の注意を払って選ばなければならない。ここで間違うと、もうしばらく本はいいや、という気分になってしまう。とびきり美しい文学を読みたいのだけれど、あいにく手元にはそれらしき本はない。久世光彦氏の名前が頭に浮かんだけれど、図書館に行く時間もなく、買いに行くパワーもなく、結局ブコウスキーを読み始める前から次に読もうと決めていた本書を手に取る。
池内氏との出会いは雑誌「
is」でのこと。「is」についてはまたいずれ詳しく書くつもりなのだけれど、大勢の執筆陣の中で氏が印象に残っているのはドイツ文学者であるからです。フランス文学者は、鹿島茂氏や山田登世子氏のように、しばしば一般人と同じ地面まで下りてきて、誰にでも判るレベルで話をしてくれる。けれどドイツ文学者っていうものは常に一段高いところにいて、決して同じ地面まで下りてきたりしない、というイメージがあったものだから驚きました。まあ私がイメージする範囲でのことだから偏っているのかもしれないけれど。
ちょっと脱線しましたが、そんないちだん高いところにいるはず(?)の池内氏が小説を書いているというのにはちょびっくりしたのでした。本書は二十三の物語、とあるように短編集。「天のある人」とくくられた、一編が6ページくらいのとても短い12の話と、もう少し長い話。最初そのとても短い短編を読みながら、これは小説というよりもエッセイだな、と思いました。主人公は大学に勤めるドイツ文学者。教え子とアヤシイ関係になったり、変わったおじさんがいたり、高校時代の先生の訃報を聞いたり……が最後に後書きを読んでわかったのだけれど、それらは全くのフィクションだとか。実話でしょう?と言われるたびに著者はニヤリとしているんだとか。
そういったエッセイ風短編を読んでいるうちは、可もなく不可もなくというか、サラサラとどんどん読めてしまう感じだったのだけれど、その後に続くもう少し長い短編(変な日本語だ)の一つ、「幸せはサンダルはいて」にはドキリとさせられた。これはそれまでとはうってかわって、女性のモノローグなのだけれど、例えば、深夜ひとり部屋にこもって何か悪いことを考えているときに、その考えがどんどん悪いほうに向かって加速していってしまって、その線を越えてしまったら、真っ逆さまに狂気の淵に落ちていってしまいそうな、そんな一線が見えてしまうことってないですか? 私は若いころ、というか10代から20代半ばくらいまでそういうことが時々あって、結局いつもその線の手前で踏みとどまってしまうのだけれど、踏みとどまれてしまう強さが悲しかった。この短編を読んでそんな記憶がよみがえってきました。ブコウスキー後遺症のちょっとしたリハビリになったかもしれない。
しかし、この本も見た目で損をしていると思う。この妙に和風な説教臭い雰囲気のカバーでは伝わらないんじゃないかしら。日常と、その間にたまに見える闇とのバランスが絶妙な本なのに。