ISBN-4167561018
1994年4月
文藝春秋
408円+税
240頁/文庫
木版画=大房真一
デザイン=坂田政則
実はまだ一冊も著書を読んでいない、と大きな声で言うのがはばかられる作家の一人が池澤夏樹だった。そのきれいすぎる名前(本名なのだろうか? ネットで調べたところ少なくとも名字は本名のようだが)と、たまたま見かけた『未来圏からの風』のカバーとで、なんかもうものすごく爽やかすぎて気後れがしてしまうような、そんなイメージを持ってしまったのだった。
そしてついに読んだ池澤作品。グアムに興味のなかったEMYさんが、読んでちょっと行ってみたくなったと言うこの本は最初の短編集であった。表題作の『マリコ/マリキータ』は、今までに印象に残っている本ベスト5に入るカルペンティエルの『失われた足跡』のようだと思った。グアムは未開の地ではないし、マリコは日本人だ。でも一度安全な居場所に戻る男のことを女は待ってくれはしないのだ。
その後の3つの短い物語たちにもやはりマリコのように自由に生きる人たち(必ずしも女性ではない)と平凡に、安全に生きる人たちが出てくる。
圧巻なのは最後の『帰ってきた男』。
世の中には特定の神を信じる人と、まったく神を信じない人、そして特定の宗教を持たないけれども神の存在は信じる人、の3種類がいると思う。日本に住んでいると特定の神を信じる人とはあまり接点がない……少なくとも私の場合は。たまたまつい先日テレビ番組『探検ロマン世界遺産』の
エルサレム旧市街とその城壁で、敬虔な○○教徒(○○にはこの場合3つの宗教が入るわけだが)の姿を見た。彼らは生まれながらに特定の宗教に属していて、他の神の存在を想うことなどない環境だから、もう最初から神の存在を傍らに感じているのだろう。いっぽう我々日本人は、たとえ家に仏壇やら神棚やらがあったとしてもそれが即神の存在に結び付いているわけではない。実際私の家には子どもの頃から大きな仏壇があったけれども、それは単に位牌を置く場所としか思えなかった。しかし私は先に挙げた3種の人のうち3番目に属する人間だ。中米を旅したときに神の存在を確かに肌で感じたからだ。旅行をするよりも家でテレビを見た方がいいという人がいる。確かにスリにあったりお腹を壊すこともない。そもそもはるばる行ったからと言ってベストな気象条件だとは限らないし、観光客でごった返していてろくに近づけない場合もある。けれどもテレビでは絶対に伝わらないものは、匂いと……神が存在する、という感触なのだ。
もとい。勝手な想像だけれども池澤氏も3種目に属する人なのではないだろうか。特定の神を信じているわけではないが、神に触れたことのある人。『帰ってきた男』で主人公たちは神に触れる。いや、それを「神」と一言で言ってしまうのははばかられるが、その形のない、しかし確かに存在するものについてこんなにも適切に表現することができることに驚かされた。そのオニロス遺跡なるものを私ははっきりと頭の中に思い描くことができる。その姿は他の読者が描くものともそれぞれ違っているだろうし、著者のとも違うはずだ。でもそれこそが文章で過不足なく伝える、ということなのではないだろうか。具体的すぎるものを無理に押しつけられたら、途端にそれは安っぽい作り物になってしまう。解説で沼野充義氏が
彼が描きだす、正確な観察と数字に裏付けられたディテールは、その一つ一つが確かな存在の手応えをもち、具体性に輝いている。
と書いているが、それは架空の遺跡やそこでの体験という実在しないものについてでさえも当てはまっているのだ。
今まで読まず嫌いでいたことを激しく後悔するほどの世界を見て。次はぜひ長篇も読まなければ。
about book design...
本文はなんだろう? イワタ系のようだが「な」とか「は」とかの字がずるずるとつながっているし。ネットで検索したら文春文庫は凸版明朝だという情報が。これがそうなのか? 見本持ってないし、使ったこともないしでよくわからず。