「障子を破けば原爆がある」
私の『ふたりのイーダ』というファンタジーを映画化したとき、監督の松山善三氏はこういわれた。障子ごしの一見平和に暮らせば暮らせる今。しかしベリッと紙を一枚むけば原爆の傷跡はまざまざとあるのだ。かつての戦争中、私たちは障子を破くことは許されなかった。
破りようも知らなかった。しかし今なら破くことはできる。日常の障子を破る勇気と気力を持ちたいと思う。若い人にも持ってほしいと思う。そこに何が在るか。見据えてほしい。二度と忌まわしい戦争を起こさないために。
ISBN-4480700110
1989年2月
筑摩書房
1700円+税
306頁/四六上製丸背
装幀=司修
松谷みよ子、という人は私の中ではもう完全に過去の人だった。子どもの頃、『龍の子太郎』や『ちいさいモモちゃん』を読んだけれども、それはあくまでも子どものための読み物で、小学校高学年ぐらいにはもうそういったものを読むのは恥ずかしいことだと思っていた。
それからだいぶ月日が経って、子どもがまだ字が読めず、物の名前もよくわからなかった頃、絵や雰囲気だけで図書館の棚から選んでくる絵本の中にまた松谷みよ子の名前を見た。懐かしい気持になったけれども、久しぶりに見るその人の名前のイメージは、やっぱり「子どものための本を書く人」だった。
それがたまたまいつも見ていたサイトで取り上げられていたという理由だけで『
小説・捨てていく話』読んですっかり認識が変わる。発行されてから10年以上経っていたのだけれども、まさに読むべき時に読んだな、と思った。そうだ、松谷みよ子の本は、いつも読むべき時にそこにあったではないか、自分が子どもの頃も、自分の子どものときも。
そして『小説・捨てていく話』の横に並んでいた、このエッセイのシリーズをゆっくり読んでいこうと決めたのだ。急がずに、自然と手が伸びる時に、ゆっくりと。
その1巻目、『わたしの暦』では前半は「歩みのあと」と称して子どもの頃からの話を、後半は「自作によせて」と著作について書かれている。
子どもの頃の話は戦争の記憶と切り離せない。私の世代では親も戦争に入っていないし、疎開こそすれ、それほどひもじい重いをしていない。そして「戦争を知らない世代」と言われることにいささか辟易していた。確かに戦争の記憶は語り継がなければならないかもしれないが、同じような話を何度も聞かされ(読まされ)、平和な時代に生まれたことが悪いことかのようにまで言われたりすると反発を覚えた。しかしこのエッセイ集に書かれている戦争の話はすんなりと聞くことができる。そうだ、だって子どもの頃に彼女の本をいろいろ読んだのだもの、一種のすり込みかもしれない、と思うほど素直に聞けるのだ。
そして次々読み進めていくうちに、これは単に「すり込み」のせいじゃないな、と思う。子どものための本を書いていたとはいえ、それは「子どもだまし」ではないのだ、本物なのだ。だから大人の心にも届くのだと。
本は好きだけど勉強は好きではない、通学途中に狐塚に登るような女の子は、後に立派な作家になった。想像力豊かな少女の姿を見て、今どきの習い事漬けの子どもたちを想い、もうこれからはこういう作家は出てこないのではないかと憂う。逆に勉強などしなくても一角の人物になれるのでは、とも思う。それが本物であるのならば。
優しさのある、しかし決して甘くない文章を読んでいくと、「私もひとこと─『龍の子太郎』批判によせて」という一編が出てきた。これは細谷建治氏の評論に対する反論なのだが、その激しさに驚かされる。こんな一面も持っていたのだ、と、そして自ら歩き回り紡ぎ上げた『龍の子太郎』は子どもであり、自分自身でもあるのだな、と。それを傷つけられた時には必死で闘う、そんな強さを見た。
そしてその一編だけではなく、著書に対して書かれた一つ一つの文章を読みながら、ああ、本を作るということはこういうことなのだ、と思わず衿を正す思いがした。そう、本づくりに関わるものとして、このことは絶対に忘れてはいけない。
残り2巻、続けては読まずにもう少し先まで取っておこう。またこの気持を味わいたくなった時に、きっとまた読むべき時にその棚に引き寄せられるに違いないから。