ISBN-4480803149
1992年11月
筑摩書房
1262円+税
192頁/四六上製丸背
装幀=中島かほる
カバー装画=司修
「小説」とわざわざタイトルにあるけれども、これは小説ではない。
子どもの頃は、本を読む時に作家名など意識していなかった。大好きな『だるまちゃん』シリーズが加古里子(かこさとし)という漢字で書いたら女性かと思うような人が書いたものだと知ったのは大人になってから。
作家名が気になるのは小学生になってからだろう。そして最初に覚えた名前が「松谷みよ子」ではなかったか。
本書は21の短編から成るのだが、一つ目を書いた時には連載するつもりではなかったらしい。内容については事前にネットの書評で見て知っていたけれども、その一つ目、たった8ページからなる『薔薇の家』という短い話の中に彼女が長らく人に語ることのなかった物語が凝縮されていて、とてもじゃないがすぐに次を読む、なんてことはできない。この人は、こんな状況で、こんな思いの中で子どもの本を書いていたのだ……。
薄い本なのに、一つ読んでは本を置き、また一つ読んでは置き、を繰り返して数日、いや1週間以上かけて読み終える。『薔薇の家』を読んだ時のすうっと心が凍るような、それでいて手には焼けた石を持っているような衝撃こそないけれども、しかし一つ一つがじんわりと。そして七つ目の『親指姫』。本を読んでこんなにも涙が止まらないことはついぞ記憶にないのだが。
私は一滴の涙も出ませんでした。私は人さまが思うより、我慢づよいたちなのです。でも、我慢しつくしたとき、いまさら泣いたりはしないのです。
本人は泣いていないというのに。ああそうだ、渦中にいるときは涙は出なかったのだ。
十こめ『山姥の林』。舅に「今度のこと、どうしただい」と聞かれてただひとこと「踏んで歩かれましたから」と答える潔さ。ああ、でもこうして後に書いてしまうのだから決して潔いわけではないのか。しかし20年以上も経ってからのこと、もしかするとその時にはもう身内はあまりいなかったのかもしれないが。
私と同世代の、いやもっと若い人たちだって子どもの頃に彼女の本を読んできただろう。だからこそ彼女の文章は今もすっと心に伝わってくる。それ故にこの本には賛否両論あるかもしれない。子どものときの読んだ本の記憶をそのままにとっておきたいのであれば、ここに書かれているのは知りたくない内容だ。そして読み手自身が今辛い状況にあるのならば、とても受け止めることはできない。92年に出た本であるけれども、私がこれを読んだのが今でよかった、とつくづく思いながら。
私自身は『ちいさいモモちゃん』シリーズを最後まで追いかけることなく大人になってしまった。その後の物語を今からでも読んでみよう。著者の子どもへの向き合い方に学ぶところがあるかもしれない。