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「犬の方が嫉妬深い」内田春菊
ISBN-4048732765
2001年
角川書店
1200円+税
248頁/四六上製
装丁:仲條正義
いわゆる書評というものはただ本の内容についてのみ触れるべきなのだろう。そこには評者の個人的な思いなどは入り込んではならない。でもこのサイトは、便宜上“書評”という言葉は時々使ってはいるけれども、本当は書評ではない、と思っている。評論家が本を読む場合、これについて書いてくれ、と言われた本を読むわけだが、一般の人の本選びは「売れているから」「書店で目についたから」「好きな作家だから」「ただなんとなく」といった理由に基づくものだ。だからそこに個人的な感情が入るのは当然であるはずで。そして同じ人が同じ本を読んでも、そのときに置かれている状況によって違う感想を持つのも当然なのだ。
それでも最近は知っている編集者にサイトバレすることも増えてきて(自分がデザインした本を載せていると、編集者の方も自分が携わった本を検索したりするわけで、それで見つかる)あんまり個人的なことを書くと次に会ったときに恥ずかしいぞ、というわけで少しは控えてきたのだけどね。
が、個人的なこと抜きには書けない本がある。ならばその本については書かないという選択肢もあるけれども、このサイトを始めてからは読んだ本全てについて書いてきたのだ、やっぱりやめるわけにはいかないよ。
さて、内田春菊のこの本。先に読んだ『愛だからいいのよ』と内容的にはほとんど一緒だ。大きな違いといえば、巻末に
この作品はフィクションです。
とあることぐらいか。順番的にはこっちが先に出ているのだから、フィクションという形で出して、それでも気が済まずにエッセイにしたということか。
内田春菊が好きかと言われれば、私はあまり好きではなかった。元々漫画は読まないし、決定的にイヤなヤツだなと思ったのは『荒木経惟写真全集』の後書だ。このシリーズは巻ごとに違う人が後書を書いていて、何巻目だかに彼女が登場したのだ。しかしその文章には担当編集者への文句が。それが自分の本ならありかもしれないけれども、人の本で、著者がその編集者とうまくやっているにも関わらず、自分のやり方とあわないからといってそこに書くのはどうよ。その時に私の中では内田春菊=非常識な嫌なやつ、という図式ができ上がったのだ。
でもこのところこうして彼女の本を続けて読んでいる。その理由は皆さまの想像の通りかもしれないが、もしも数年前にこの本を読んでいたら、やっぱり「内田春菊って嫌なやつ」と思ったに違いないのだ。作家という職業を利用して一方的に元夫の悪口を垂れ流す。物事は一方の言い分だけからでは本当のところはわからない。でも3人の子どものうちただの一人も元夫との子ではない、というのは事実で。客観的に見たら、やはり彼女には同情できないのではないか。それでも読んでしまうのは
「弁護士さんとこ行くの」
「あ、そうか」
「潔く別れてくれれば言わなくても言い悪口を言いに行かなくちゃなんない」
という想像力からだけでは出てこない言葉のせいだ。
実生活で「この人はどうしてこんなにも想像力がないのだろう」と思うことがしばしばある。仕事で毎晩帰りの遅い夫に「何も家のことをしない」と文句を言う主婦も想像力が欠如していると思うし、「保育園に行っているなんてかわいそう」と言う人も然り。そして平気で「私も離婚を考えたことあるけど、マンション買ってからはうまくいってるの。ダンナも昇進したし。だからあなたもマンションでも買えば?」なんて言ってくる人は……それは嫌みではなくて励ましているつもりのようなのだ。
そうした人たちを「想像力がない人」と括って軽蔑してきたけれども、この本を読んで、もしかすると人の想像力なんてたいしたことないのかも、と思ったのだ。なぜって想像だけでこの本を読んだら、決して著者サイドに立つことはできないから。とすると私は人間の想像力というものを過大評価していたのかもしれない。人は経験したことのない事は想像できないのかも。
ならば事実と重ね合わせて読むから面白いのか。でも売れている作家である、全ての内田春菊ファンが似たようなことを経験してきたわけはあるまい。裁判やら弁護士やらそういったものとは縁もなく暮らしているはずの大多数の人たちはこの本をどう読むのだろう。
それでも面白いのなら……想像力が欠如しているのは私の方なのだろうか?
そしてそうやって共感しながら読んでも、やっぱりちょっとうんざりするのだ、この本は。あまりに“垂れ流し”で、もはや小説ではないから。
私は太田のそういう所を人に話さなかった。そして話さなかったことをこんなにも利用されてしまった。
外側から見ると、私は奔放で、好き勝手なことをしていて、それを太田がつつましく支えているようだったらしい。それは、ある点では正しかったが、ある点では逆だった。もしかしたら、私はせめて人目には、楽しくやっていると見られたかったのかもしれない。
「(前略)何であんなに別れてくれなかったんだろう。男ってどうして、こっちから別れたいって言うとぐずる人ばっかしなんだろう」
「それは、好きだからでしょ」
「そんな綺麗事じゃないのよ。(中略)飼っていた小動物が逃げたような顔してんだよ、みんな。自分の手の中でこれからもずっと物事が進むはずだと思い込んでる。私が逃げさえしなければ全てうまくいったはずなのに、って」
「おとなしくていい人そうじゃない。ほんとはあんたの方が性悪なんじゃないの?」
いつもそうだ。そんなふうに見えない事をますます相手に利用されるのだ。そしていつも私は全てを書く結果になる。書く前に、何度も話し合っているのに、相手は事実を曲げようとするのだ。
いや、きっと相手にとっての事実は私にとっての事実と違うのだろう。
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2002-09-24
コメント
あっはん太郎さん:Pinoさんの「想像力うんぬん」のコメントは非常に考えさせられるものがありました。作者の実情を知っていれば、「ただの元夫の悪口」なんだけれど、知らなければちゃんと小説に見えるのかもしれませんね。
私小説は舞台裏を深読みせず、実は事実なんだけどフィクションのつもりで、妙なリアリズムを感じながら読むのが、読み手として賢いのかもしれないと思いました。子供の頃夢中になって読んだ、松谷みよ子先生の「モモちゃんシリーズ」が、実はご本人の体験を元にしたものだなんて、大人になるまでわかりようがなく、であればこそ、今もなお私にとって光り続ける作品だったりしますから。
手塚治虫先生くらいの類まれなる想像力と表現力がない限り、虚の世界で感動を産むような作品は作れないのかな、という気がしてきました。イヤ、もしかしたらアレも手塚先生にとってはノンフィクションだったのかもしれません。凡人にはそう感じられないだけで・・・。
ひなさん:普通、人は「悪口」を嫌うものですが、それだけでいいのかなぁと思うことがあります。こちらが相手の全てを善意で解釈しようとする、つまり悪口を言わないようにするとそれをいいことに増長する人間というのは確かに存在します。相手をわざわざ悪く言うのは純然たる「悪口」でしょうが、悪意なく人を利用する類の人間に対して「あなたはこれこれこのように人を利用している」ということは時として必要であると思います。春菊さんの作品は、読んだ同じ立場の男性女性が「あ、こういうことだったのか」と啓発され、「何か」に気づくことが出来るものであると思います。
PINOさん:>あっはん太郎さん
なかなか想像だけで本を書くのは難しいようで、実体験を誇張して小説にしているものって結構多いと思います。
林真理子然り。宮尾富美子然り。
作家は必要以上に本人が露出しない方がいいんでしょうね。そうすればフィクションとして読めるから。
>ひなさん
うーむ、でもね。春菊さんが一方的に書けるわけでしょ、相手は作家じゃないのだから。
でもって本書だか『愛だからいいのよ』だかどっちか忘れましたが、子どもの父親が誰一人として元夫ではないことを(そして離婚騒動でDNA鑑定するまで元夫は1人は自分の子だろうと思っていた)「全員違いました、えへへ」みたく一言で終わらせる。
人を利用している人に気付かせることは大事かもしれないけれども、そもそも春菊さん自体が気付いてない。だからあまり説得力があるとは思えないんですよ。
adddddddさん:小説にマジになんなよ、と。批判するところが違うんじゃないか、と。
くるみさん:私は内田さんの作品が好きなので、作品のさまざまな部分からこの作品の背景を知っていたので、そういう意味でいきさつの紐が解けるように読んでいたので興味深いものでした。確かに悪口の垂れ流しといえば垂れ流しでしょうが、その小説では主人公が語り手の時点でその主人公サイドに立って物事を見ることに面白さがあると思うのですが、、、ファザーファッカーは何の理解もないまま読んだ作品だったのですが、自分が体験することない、というか想像できない世界だったのでショッキングな作品としていまでも心に残る作品のひとつです。内田春菊自身の想像力云々より、普通の人が体験しないであろう体験を垣間見るところに内田春菊の面白さがあると思います。
abcさん:そこまでいうなら読まなきゃいいんじゃないのでしょうか?
PINOさん:読んでしまった本に対して「読まなきゃいい」と言われても……。
気になってたさん:内田春菊の本は好きでよく買って読んでます。男女の認識の違いや常識とされている結婚のあり方なんかに異議申し立てしてるところが面白いです。
確かに元夫や現夫の父親の悪口をよく書いてますよね(仕事上の人のも)。読んでいて、書かれている方はやりきれないというか、全世界までに恥をさらされていてかわいそうな気が…。内田春菊は勘違いされても、法廷だったら法廷で釈明できるし、周りの人にも「わかってくれない人」は付き合いをやめればいい。もともと自分の考えしか正しくない人なんだし。それがどういうわけで知らない読者にもわかってもらいたくなったんだか。「私の考えどおりにならなきゃ出版するぞ」という脅しとも思えるほど。読者も一方的に「読む=内田の味方」みたいな気になります。
まったくのフィクションは面白いんでこれからも読むと思うけど、あとがきにふいうちでプライベートの悪口出てくるのが困りもの。売れてるから出版社の人も許してるんでしょうかね。「私たちは繁殖している」でプライベートを題材にし始めてから、出版物が日記化したんでしょうかね。内田春菊の本は面白いけど、内田の考えに全面的に賛成してるわけではないです。
PINOさん:「読者も一方的に「読む=内田の味方」みたいな気になります。」
と言うの、よくわかります。
確かに読んでいると「なんてひどいダンナなんだ」という気になりますもの。
冷静に考えると、一方の言い分しか聞いていないわけなんですが。
でも世の中の人はフィクションだと割り切って読んでいるのでしょうかね?
それとも読んでいるうちにすっかり味方になってしまったのでしょうか。
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