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『ロサリオの鋏』ホルヘ・フランコ

Rosario Tijeras by Jorge Franco/田村さと子=訳

ISBN-4309203981
2003年12月
河出書房新社
1600円+税
232頁/四六上製丸背
装幀=水木奏
装画=スズキコージ
久々に読んだ中南米の本。そして初めて読む、評判の高い「Modern & Classic」シリーズ。

原題は「Rosario Tijeras」。Tijerasは鋏という意味だが、ロサリオはほんとうの名字を隠してロサリオ・ティヘーラスと名乗って(呼ばれて)いる。8歳で母親の男に強姦された彼女は、13歳でやはり彼女に乱暴した男の股間を鋏で切り落として以来その名前になったのだ。麻薬も殺人も日常的な世界、というとなんとも陰鬱なもののようだが、しかしそこは中南米ながらの色合いで。

翻訳文学を読む時に、たとえば欧米のものだったらそれほど日本人の想像が及ばないことはないだろう。イギリスの昼の暗さがピンと来なかったり、アメリカの異様な愛国心に驚いたりすることはあっても。しかし中南米では、特に興味のない人はあちらの国について知る機会はあまりないだろうし、我々の常識の範囲外のことが起こる。物語の舞台であるメデジンという町はコロンビア第二の都市であり、今現在でも日本の外務省が渡航の延期をすすめたりするような場所であるが、この本では80年代、麻薬戦争のまっただ中という危険きわまりない時代なのだ。
日本では高台に住んでいる方が裕福なイメージだけれども、すり鉢状の地形のメデジンでは低い平らなところに住んでいるのがお金持ちで、高いところになるほど貧民街になっている。傾斜がきつくて移動も大変だし、崖崩れの恐れもあるからだ。その「一番高いところ」から町を見下ろしていたロサリオやその兄や仲間たちが低いところに降りて行くにはマフィアに雇われて殺し屋になるしかない。かくしてロサリオのような若く美しい殺し屋が現われる。「ニキータ」や「レオン」とはわけが違うのだ。このあたりの背景がわからずに読むとわかりにくかったり人の死に驚いたりするので、先に「訳者あとがき」を読むことをお薦めする。

さてそんなことを書くと血なまぐさい話のようだが。ロサリオに恋した上流階級の坊ちゃんの生温くもある片思いの物語なのである、簡単にいえば。銃弾で蜂の巣になった彼女を病院に運ぶところから始まる物語は、手術室の外で待つ彼の回想がほとんどだ。所詮お坊ちゃんの彼は永遠に片思いだけれども、全然違った境遇なのに似ている二人、一番近くにいたのは彼なのかもしれないし、それならば思いは報われたのかもしれない。望むのと違う形だけれども。

ところで著者は「第二のガルシア=マルケス」と言われているようだけれども、ガルシア=マルケスとはだいぶ違う。はるかにわかりやすくて、そして切ない。だからガルシア=マルケスは難解だからと本書にも手を出さない人にも読みやすいと思う。

ここからは余談だが。アフィリエイトのためだけの内容のないものは別にして書評サイトは結構意識の高いものが多いと思うのだが、それに比べてAmazonのレビューはレベルが低いものが多い気がする。この本のレビューにも(以下ネタバレ、反転して下さい)「語り手で上流階級出身のアントニオ(ラストではじめて名が判明する)が、」とあるのだが、それまで「あんた」としか呼ばなかったロサリオが初めて名前を呼ぶのを目にした時に読み手はぞくぞくっとするのに、それをバラしてしまってはだめではないか。Amazonにはそのレビューについて報告する機能があるけれども、そこにはコメントを書くことができない。だから担当者がこの本を読んでいない場合、どこがまずいのか判断できないと思うのだけど。コメントを送れるようにしてほしいんだけどなあ。
2006年05月12日(金)10:50 PINO - No comments - No TrackbacksTrackBack用URLTrackBackフォーム
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『中南米の神話物語 母と子の世界むかし話シリーズ20』 監修=坪田譲治

1973年
研秀出版
500円
90頁
装丁:篠田昌三
私は「あれが欲しい! これが欲しい!」と言えない子どもでした。そう言うことをいけないことのように思っていた気がします。友だちが皆持っていたローラースルーゴーゴーも欲しいと言えなくて、遊んでいる友だちを横目で見ていました。なのであまりおもちゃは持っていなかったほうだと思うのだけれども本だけはたくさん持っていた。今もあるのかどうか知らないけれど、当時は毎月本を届けてくれる出版社がありました。このシリーズもそのひとつで、全20巻。子どもの頃の本はあまりとっておいていないのだけれども、このシリーズはきれいに揃えて残してあって実家に置いているのですが、この20巻目だけは手元に持っています。

『イギリスのむかし話』『日本のむかし話』という風に、一つの国や地域ごとに一冊になっていて、15巻目からが神話物語に。14巻目までは大きなひらがなの子どもが読む部分と、小さな漢字交じり文とで構成されていて、親子で一緒に読むようになっています。15巻目以降は簡単な漢字交じり文(ルビ付き)だけになっている。いろんなイラストレーターが使われていて変化があって楽しいし、こんなすぐれた子どもの本はないと思うくらい。載っている物語は他ではあまりにみないようなマイナーなものが多いのだけれど、楽しい話、悲しい話、取り混ぜてバランスよく入っていて、どんな子どもでも「私、この話が一番好き!」と言える物語が入っているのではないかしら。そして繰り返し繰り返し読んだのだけれども、最初に読んだ幼稚園生の時から、なぜかこの20巻目が気になって仕方がなかったのでした。

さて、幼稚園から小学校五年まではキリスト教系の学校に行っていたのですが、親は別に深い考えがあったわけではなく、単に近くだからという理由だったのだけれども、子どもは真剣です。毎日お祈りをしていれば神様は助けてくれるものだと信じていた。でもそんなに祈っているのに不条理なことは起こる。それにシスターが感情的に怒ったり、けんかをしたりイジメたりしているのを見るにつれ、もしかして神様はいないのではないか、と思い始めてしまったのでした。
神様を信じていた子どもにとって、神様がいないかもしれないって事は大問題です。必死で神様を探しました。でも教会に行っても、お寺に行っても、神様はいなかった。私が神様を見つけたのは・・・この本の中でした。

中南米の神様はとってもいい加減。間違うこともあるし、失敗もするし、人間をねたんだりさえもする。神様は、唯一絶対の常に正しいものではないんだ、と思ったら、子供心ながらすっかり楽になりました。勿論そういう神様が出てくる神話は中南米のものだけではありません。でも苦しくなるほど惹きつけられて、そして「中南米ってどんなとこ?」といろんな本を調べていくうち、2つの風景が頭に焼き付いてしまった。一つはジャングルからピョコピョコと頭を出す神殿たち(この風景は実際にグァテマラで見ることができました)。そしてテーブルマウンテン(こちらはマヤ文明の地ではないけれど)。それらの写真は「ここには神様がいるよ」とうったえかけてきた。

人生で一番影響を受けた本をきかれたら、迷わずこれをあげるでしょう。なにせ神様を再発見した本ですから。本の中にいた神様が実際にいたかどうかは……グァテマラ旅行記で。

で、実は神様がいるのでは? とこのシリーズを読んで思ったもう一つの場所が北欧。北欧の神様は、神様のくせに、イズンの若さのリンゴを食べていないと老いて力を無くしてしまう。オーディンは一番偉い神様なのに、もっと知識を得るために自分の片目と交換でミミール鬼の泉の水を飲む。火の神様ローキーは、神様なのにある日鬼の仲間入りをして神様と戦う・・・そういった神も鬼も人間もごった混ぜ、そして時には鬼の方が神様よりも強かったりするのがこれまた気持ちを楽にしました。そして北欧の風景写真は、とっても美しいのに、なんか恐い。そういうわけでいつか北欧にも神様を探しに行きたいと思っているのです。

マヤの神様についてのもっと詳しいことは、次にこのコーナーにアップする予定の『ポポル・ヴフ』のところで紹介しましょう。それから別にキリスト教を否定するつもりはありません。神様が「いる」ということと「信仰する」ということは全く別のことであって、グァテマラに神様がいるからといって、私がマヤの宗教を信仰しているというわけではないですし。ただデリケートな問題ですので、もしも気分を害した方がいらっしゃいましたらお詫びいたします。
2000年09月14日(木)12:30 PINO - No comments - No TrackbacksTrackBack用URLTrackBackフォーム
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『南国に日は落ちて』 マヌエル・プイグ

Cae La Noche Tropical by Manuel PUIG 野谷文昭=訳

ISBN-4087732584

1996年/集英社
2330円+税
256頁
装幀:菊地信義
装画:羽山惠
大好きなプイグが50代で亡くなったのはショックだった。本書は遺作。彼の本で最初に読んだのは『蜘蛛女のキス』。暗い刑務所の中の二人の男。ひとりはホモでひとりはノーマル。そういった状況について何の説明もないまま、ほとんど会話だけで物語は進んでいく。無駄がなくてゾクゾクさせられて……一気に読んでしまう。映画や舞台にもなっているようで、それらは未見なのですが、でも本のように、状況を理解したときにアッと思う感じは出ないでしょうね。
赤い唇』では物語は手紙によって進んでいく。この作家はそういった手法が好きなようで、本書も主に会話だけで進む物語。
ストーリー自体はそんなに新しいものではありません。老姉妹がいて、それぞれの子どもたちの話や隣人の噂話、そして貧しい若者を助けようとして逆に騙されてしまう。それが引き込まれるように読んでしまうのは、この姉妹の会話だけで進んでいくからでしょうか。二人は年をとっているのに、娘のようにかわいらしいところもあって、噂話が大好き。それは主に隣人の女性の男性関係についてなのだけれど。妹が家を離れてからは会話のかわりに手紙によって話が進み、突然告訴状や調書が混ざる。そういった過不足のない文章から、読者は好きなように想像して読み進めることができる。『蜘蛛女のキス』もそうなのだけれど、最初よくわからなかった人間関係や状況が、手探りのように読んでいくとだんだんわかってくる、この面白さ。しかしもっと有名であってしかるべき作家なのに、この値段が災いしているんでしょうか。
1999年11月14日(日)14:09 PINO - No comments - No TrackbacksTrackBack用URLTrackBackフォーム
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