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『家族アート』 伊藤比呂美

by ITO Hiromi

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ISBN4-00-004160-6
1992年/岩波書店
1650円+税
240頁
装丁:鈴木一誌+蒲谷孝夫
特に意図していたわけではないのだけれどいまのところ同じ作家の本を2冊紹介したことはない。で、初めて2冊取り上げることになったのが伊藤比呂美なのだけれど、困ったことが。というのも時々指摘されるのだけれど、このコーナーって書評と言いつつ、読むに至る経緯とか、その作家についてとかでかなりの文章量を占めているので、2冊目ともなると書くことがガクッと減ってしまうわけです。でも個人の書評の場合、その辺の経緯とかも大事なんじゃないか?と思っているわけで……この件についてはまたいずれ。
伊藤比呂実の作品は、最初に読んだのが枝元なほみとの往復FAX書簡である『なにたべた?』で次に読んだ『ラニーニャ』の登場人物は名前こそ違えど『なにたべた?』と一緒だったからこの人は身の回りの出来事を小説にしていくタイプの人だと思っていました。全くの創作ではなくってまわりで面白い出来事が起こるから書けるのだと。そう思って本書を読んだら少し戸惑ってしまった。順番的にはこれが一番古いわけで、ここに出てくる英会話教師アーロンとは『ラニーニャ』でアメリカの夫で障害者のアーロンと同一人物なのだろうか?とか、病弱なくせに豪快なところもある夫は『なにたべた?』で煮え切らないジメジメした態度のタメ夫のことなのか?なんてことを考え出してしまうと他の2冊を読んだときのようにしっくりと結びつかないわけです。まあそんな読み方をするのがいけないわけで、単純に別のものとして読めばいいんだろうけれど。
書評サイトなどをみているとこの人は結構人気があるのだけれど、特に話題にされているのが育児エッセイ。この分野は私は仕事絡みのものしか読んだことはなくてあまり興味もないのだけれど、本業である詩について触れられているところはあまりない。私も読んだことはないけれど、本書を読んでいて、やはりこの人は詩人なんだなあ、と思うところがあった。「オグリ」という章で日本の物語はくそまじめでおもしろくないと言うアーロンに「小栗判官」を語って聞かせるのだがなんかそこでの言葉の選び方がとてもよかった。慎重で丁寧でそれでいてリズムがあって。こんな風に人に物語を語ってもらえたらいいなあと思いました。
それで彼女の詩に俄然興味が出てきたのだけれど詩集って、時間的にも精神的にも余裕がないとなかなか手に取る気がしない。ので読むのはいつになることやら。
最後にとっても細かいことなんだけれど、この本って最後に白紙が6ページもある。四六判の本だったら大抵ページ数は16の倍数で、これは紙取りの都合なんだけれど、そのせいでこんな白紙が出たりするわけ。でも例えば本扉をつけるとか、なんとかして帳じりを合わせようとするもんなんだけれど……。
2000年03月13日(月)11:56 PINO - No comments - 1 TrackbackTrackBack用URLTrackBackフォーム
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『天のある人 二十三の物語』 池内 紀

by IKEUCHI Osamu

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ISBN4-309-00560-8
1989年/河出書房新社
1553円+税
260頁
装丁:田淵裕一
ブコウスキーの後遺症は思いの外ひどかった。前回の文章には嘘がある。本当は町でいちばんの美女の生き方を悲しいとも辛いとも思わなかった。最初の短編は、想像とのあまりのギャップにあぜんとするばかり。そして後はひたすら不快感と嘔吐感。忘れたい悪夢のような本。正直にそう書けばよかった。書けなかった自分の自信のなさに自己嫌悪気味。
不快な本を読んだ次の一冊は、細心の注意を払って選ばなければならない。ここで間違うと、もうしばらく本はいいや、という気分になってしまう。とびきり美しい文学を読みたいのだけれど、あいにく手元にはそれらしき本はない。久世光彦氏の名前が頭に浮かんだけれど、図書館に行く時間もなく、買いに行くパワーもなく、結局ブコウスキーを読み始める前から次に読もうと決めていた本書を手に取る。
池内氏との出会いは雑誌「is」でのこと。「is」についてはまたいずれ詳しく書くつもりなのだけれど、大勢の執筆陣の中で氏が印象に残っているのはドイツ文学者であるからです。フランス文学者は、鹿島茂氏や山田登世子氏のように、しばしば一般人と同じ地面まで下りてきて、誰にでも判るレベルで話をしてくれる。けれどドイツ文学者っていうものは常に一段高いところにいて、決して同じ地面まで下りてきたりしない、というイメージがあったものだから驚きました。まあ私がイメージする範囲でのことだから偏っているのかもしれないけれど。
ちょっと脱線しましたが、そんないちだん高いところにいるはず(?)の池内氏が小説を書いているというのにはちょびっくりしたのでした。本書は二十三の物語、とあるように短編集。「天のある人」とくくられた、一編が6ページくらいのとても短い12の話と、もう少し長い話。最初そのとても短い短編を読みながら、これは小説というよりもエッセイだな、と思いました。主人公は大学に勤めるドイツ文学者。教え子とアヤシイ関係になったり、変わったおじさんがいたり、高校時代の先生の訃報を聞いたり……が最後に後書きを読んでわかったのだけれど、それらは全くのフィクションだとか。実話でしょう?と言われるたびに著者はニヤリとしているんだとか。
そういったエッセイ風短編を読んでいるうちは、可もなく不可もなくというか、サラサラとどんどん読めてしまう感じだったのだけれど、その後に続くもう少し長い短編(変な日本語だ)の一つ、「幸せはサンダルはいて」にはドキリとさせられた。これはそれまでとはうってかわって、女性のモノローグなのだけれど、例えば、深夜ひとり部屋にこもって何か悪いことを考えているときに、その考えがどんどん悪いほうに向かって加速していってしまって、その線を越えてしまったら、真っ逆さまに狂気の淵に落ちていってしまいそうな、そんな一線が見えてしまうことってないですか? 私は若いころ、というか10代から20代半ばくらいまでそういうことが時々あって、結局いつもその線の手前で踏みとどまってしまうのだけれど、踏みとどまれてしまう強さが悲しかった。この短編を読んでそんな記憶がよみがえってきました。ブコウスキー後遺症のちょっとしたリハビリになったかもしれない。
しかし、この本も見た目で損をしていると思う。この妙に和風な説教臭い雰囲気のカバーでは伝わらないんじゃないかしら。日常と、その間にたまに見える闇とのバランスが絶妙な本なのに。
2000年02月29日(火)11:19 PINO - No comments - 1 TrackbackTrackBack用URLTrackBackフォーム
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「ビューティフル・サンデイ」
サードステージshowcaseシリーズ

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東京公演=2000年2月9日〜16日/六本木・俳優座劇場
大阪公演=2000年2月19日〜20日/上本町・近鉄小劇場
観劇日=2000年2月12日18:00開演
CAST=長野里美・小須田康人・堺雅人
作=中谷まゆみ/演出=板垣恭一
「BookGuide」の『ドン・キホーテのピアス』のところにも書きましたが、私のサードステージ観劇歴はあまり長くありません。「リレイヤーIII」から。というのも、それまで演劇というものに対して、ちょっとした偏見があったから。
高校の同級生のS嬢とは、別段親しいわけではなかったのですが、同じ私鉄で通学していて、電車の中で会うと話す程度の仲。色白で、小柄で、ほっぺが赤くてふっくらしていて、かわいくておとなしい文学少女でありました。そんな彼女がある日電車の中で「私、今これにはまっているの」と取りだしたのは演劇のチラシ。「ブリキの自発団」なるアヤシイ劇団名といかにもアンダーグラウンドっぽいビジュアル。おとなしいS嬢が突然熱く語り始めたものだから、私はすっかりひいてしまいました。
うむむ、演劇とはそんなに人を変えてしまうのか(大げさ)と思うことしきり、今度はテレビの深夜番組を見ていたら、「珍しいキノコ舞踊団(舞踏団だったかもしれん、詳しい方フォローを)」なる劇団が出ていた。またしてもあやしげな劇団名。おまけに彼女たちはとても楽しそうに踊っているのだけれど、観ているこちらは全然楽しくない。当時ちょっとした小劇団ブームで、他にもいろいろ出ていたのですが、どれもこれも本人たちだけが楽しそうに見えて、観ているほうはどんどんひいてしまう。でもそれにS嬢のようなおとなしい人がはまってしまうわけだから……まるでカルト(当時そんな言葉はなかったかもしれないけど)のようだ!と思い込んでしまったのでした(両劇団ファンの方お許しを)。だから、仕事でかかわることがなかったら、演劇なんて一生観に行かなかったかもしれません。
そんなこんなでサードステージの公演を観るのはもう何作目かなあ。第三舞台、鴻上ネットワーク、そしてこのshowcaseシリーズといろいろ観てきました。showcaseシリーズは毎回脚本化が変わるもので、観るのは今回が2作目。前回観た「パ・ド・ドゥ」は正直あまり好きではなかった。出演者は二人だけで、携帯電話などをうまく使って他の人物を想像させるんだけど、電話の会話だけで十分相手が想像できているのに、わざわざ後から説明したりしちゃうくどさが苦手だった。だからもうshowcaseシリーズはいいや、と思っていたのですが、今回のこの豪華キャスト。無理を言って、チケットを取っていただいたのでありました。
入り口入るとなんか並んでいる。ビデオを買うのか、すごい売れ行きだ……と思ったらなんと売り子が鴻上氏。これはいい作戦かもしれん。
幕が開くと、サードステージには珍しく、やけに具体的なセット。マンションの一室がそのままある感じで、なんか「8時だよ全員集合」のドリフのコントみたいだ(古い)。もそもそと起き出してきた小須田氏は相変わらずで、オッサンパジャマがよく似合う。次に出てきた下着姿の長野氏は……すごい老けたぞ!いやはや数年見ない間に随分と老けてしまったのですが、あのかわいい声は健在。見かけは老けても、雰囲気は相変わらずかわいい。
ストーリーを説明してしまうと、ビデオで観ようという方の楽しみを奪ってしまうからやめておくけれど、最近観たサードステージの中で一番でした。というのも最近の公演は鴻上ネットワークなど若手の役者さんを中心としたものが多くて、若手といっても、アイドルテレビドラマに出ている連中に比べれば格段にうまいのだけれどやはりなんか力が入り過ぎな感じがして、観ていると途中で疲れてしまう。でも今回の役者さんたちはさすがにうまくて、まるで実際にそういう人がいるかのようで(役もそれぞれのキャクターにぴったりだったし)とても自然に感情移入できたのでした。連れのN嬢など大泣き。普段泣くキャラクターじゃないからビックリした。結局演劇って、脚本家よりも演出家よりも、役者の力が大きいんじゃないかしら。テレビみたいにカメラワークでごまかせないし。
勿論脚本もよかったです。皆がそれぞれ悩みを抱えている。で悩みなんていうものはとっても主観的なものだから、誰かの悩みが他の誰かの悩みよりも大したことじゃない、なんてことは決してない、というのは私自身も常々思っていることだからとても共感できた。子どもの頃先生に「人の痛みのわかる人になりなさい」なんて言われたけれど、私はそんなことできないと思う。病気の時に医者に行ってどこがどう痛いのかを説明するのだって結構大変でしょう。体の痛みを専門家である医者に伝えるのだってままならないのだから、心の痛みなんて人に伝わるわけがない。だからずっと思ってきたのは、人には皆痛いところがあるっていうこと。どこがどう痛いのかわからなくても、痛みを持っていることだけには気付いてあげたい。
と、演劇の話からちょっとずれてしまったけれど、この芝居の登場人物たちは皆それぞれ悩んでいてそれらの悩みのうちのどれかは観る人の痛みにも触れてくる。痛いところに触られるのは一瞬ちょっと辛いのだけれど、でも芝居と一緒に治っていける気がします。
終わってしまった公演ですが、そのうちビデオになるんじゃないかな。showcaseシリーズは「パ・ド・ドゥ」だけすでにビデオが出ています。その売れ行きによって他の作品もビデオにするかどうか決める、みたいなことを言っていましたが、今回の公演はものすごい人気のようでしたから大丈夫でしょう。なにせ連日満席、通路は勿論、舞台の袖からも観ている人がいて、それでも入りきれずに帰った人も大勢いるとか。
2000年02月27日(日)11:13 PINO - No comments - No TrackbacksTrackBack用URLTrackBackフォーム
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