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『悪童日記』 アゴタ・クリストフ
Le Grand Cahier by Agota KRISTOF/堀茂樹=訳
ISBN-4152077042
1991年/早川書房
1553円+税
248頁
装幀:高木桜子
何を今さら、と言われそうですが、ベストセラーをタイムリーに読めないところが本を買わない人間の辛さ。ちなみに今話題の『
永遠の仔』『
白夜行』『
五体不満足』あたりは図書館だと30人以上予約待ちで、おそらく一年ではすまないでしょう。再来年の夏にまだ『五体不満足』が読みたいか???
本書、奥付を見ると、1994年5月で17刷だからこのての翻訳書にしてはやはりすごい。恥をさらすと、実は2冊借りてきちゃいました。というのももう一冊は初版で、明らかにカバーの色が違うから、これは上下巻だと思い込んだのでした。図書館の本がそんなに灼けるわけもなし(灼けるような色でもないし)刷りのせいか?
で、話題になったことは知っていたのですが、内容については知らないまま読み始めた。なんとなく『
レ・ミゼラブル』みたいなものを想像していたので、ビックリ。むしろこれは『
ブリキの太鼓』だ。似ているのはどちらも主人公の子ども(といっても『ブリキの太鼓』のオスカーは子どもではないかもしれないけれど)の目で書かれていることと、なによりも全編に漂う死の匂い。実際に人が死んでいくのは、物語後半の戦争が終わりそうなころからでしょうけれど、それ以前にも、例えば、断食や、感情を出さない訓練、動かない訓練などは一種の死とも言える。そして、『ブリキの太鼓』の太鼓の音が死へ追いつめていくビートのようだったのに対し、この本では淡々とした文体そのものが読む人を追いつめていく。
しかしラストには驚かされました。それまで子どもたちは二人なのに、まるでひとりなのかのように常に同じ行動をしている。それが突然自らの意志で離れ離れになっていくのは全く予期していなかった。これは続編も読まないわけには行きません。
この本が世界中で売れたということはちょっと不思議でもあります。著者はあきらかにどこのことを言っているのかわかるような地名や人名国名などもすべて「大きな町」とか「彼らの国」とかいう書き方をしています。で、我々外国人は、それではすぐにはピンと来ないから、訳者の註に頼ることになる。でも原文には註はないわけで、それでも東欧などの人たちには何を言っているのかわかるわけだから、我々外国人の読み方というのは作者の意図したところとは違うのではないでしょうか?
最近雑誌などでよく、「今世紀中に読んでおきたい本」なんていう特集があったりしますが、それがどうも気に入らない。本をいつ読むかは、例えば、その人の状態(落ち込んでいるとか)によって本は違ったふうにとらえられるのだけれども、それは年号とは関係ないでしょう? 本人の時間軸であって、世の中の時間軸ではない。それらで取り上げられているのって、大抵、20世紀の作家達であるのだけれど、別にそれらが古典になってしまってから読んだって構わないんじゃない? でももしも、本当に今世紀中に読んでおくべき本なんて言うのがあるとすれば、本書や『ブリキの太鼓』ではないでしょうか? 東西ドイツやソ連、なんていうことが忘れ去られてから読んだのではきっとわからないから。
ちなみに『ブリキの太鼓』のギュンター・グラスは今年ノーベル文学賞をとりました。これは私にとって、今年の文学界での一番嬉しいニュースです。
しかし、単行本なんだから栞ぐらい付けてほしいなあ。
『邪眼鳥』 筒井康隆
by TSUTSUI Yasutaka
ISBN-4103145242
1997年/新潮社
1300円+税
208頁
装幀:平野甲賀
高校生までは、面白い本を読んだら、その作家の本を次々と、あるったけ読むという読み方をしていた。星新一から始まって、筒井康隆、阿刀田高、都筑道夫、佐野洋……。何度か書いているけれど、大学時代は小説から離れた時期だった。というのも大学図書館は専門書ばかりだし、手ごろな公立図書館は近所になかったし、買うには限度があるし。卒業して、数年が経って、手ごろな図書館を見つけるころにはいろいろ様子が変わっていた。星新一は亡くなったし、筒井康隆は断筆したし、阿刀田高は、もう『
冷蔵庫から愛をこめて』や『
ナポレオン狂』のような勢いはなくなっていた。そうこうするうちに、ひとりずつ読み倒す、という本の読み方を忘れてしまいました。先日絶賛した車谷長吉も、次々読みたいという誘惑もありますが、暖めておいて小出しに、という方が強かった。大当たりの次にはずれが出るのもコワイ、というのもあるかもしれません。まあ次々……というには彼は寡作なのでありますが。で、何を読もうかと、図書館の棚の間を徘徊しているうちに発見したのが筒井康隆。ここに通い始めてもう一月以上経つのに、なんと今まで氏の存在を忘れていたのでありました。このことが自分では一番の驚き。書店で何度も買おうかどうか迷った「敵」もあります。でも、図書館での『
敵』は箱から出されてしまいかわいそう。それにあの漢字量は辞書がないときつそうだから電車の中では読めないし……という訳で、まずは復活第一作のこの本に(しかしカバーにデカデカと「復活第一作!」と入れてしまうあたりはすごいね)
この作品では、「復活第一弾」ということを計算ずくなのである。断筆中に、我々は彼のすごさ(恐さ?)を忘れていた。それを知っていて彼は、わざと「普通の小説」のふりをして近づいてくる。彼の本の装幀は、本書を含めて文字だけのことが多いのだけれど、それは彼の本で情景を想像するのが難しいから、写真やイラストといったビジュアルを使いにくいからだと思う。だから平野氏の本の内容を無視したともいえる装幀がピッタリなのだ。そして情景が想像できないのに、入り込めてしまうという摩訶不思議な作品なのである。文字の洪水。が、本書で普通の小説として近づいてきた彼は、我々に情景が想像できているような錯覚を与える。8ページの人名が次々読み上げられるところなんかは、頭の中で声を出して想像してしまう。ここですっかり油断してしまった。鋭い読者なら、その後のお座敷芸のところで気付くのだろうけれど、鈍重にも私は気付かないまま読んでいってしまった。しまった!と思ったのは、息子が子どもの頃を思い出しながら昔見た映画のタイトルをあげていくうちに、いつのまにかそれは父の見た映画になり、父の記憶になっているところ。見事なメタモルフォーゼ。そして時すでに遅し、あとはもう筒井ワールドへなだれ込むしかない。
筒井氏の本は「筒井康隆」というジャンルなのである。『
ロートレック荘事件』では、ほう!今回はミステリーかなどと油断しているととんでもないことになった。彼はいきなり殴りかかってくる。寝ている間も容赦なく殴りかかってくる。では起きていようとすると後から殴る。背を向けまいと壁に張り付いていると奇声とともに遠くを指さすから、そちらに目を向けるとその隙に殴る。もう何があっても目をそらすまいとすると、じっとこちらの目を見たままにっこり笑って殴る。それじゃあ狂人ではないかと言うかもしれないが、狂人と天才は紙一重なのだ。それまで文学には天才はあり得ないと思っていた。画家ならばいる。絵は感覚のみで描けるが、文章はそれなりのバックグラウンドがないと書けないはずだからだ。
ところで、ここ数年毎年なのだけれど、年末には面白い本に出会う率が高い。このままでは今年のベストがないぞ、という焦りが呼び寄せるのか?
『ドン・キホーテのピアス』 鴻上尚史
by KOKAMI Shoji
ISBN-4594019501
1996年/扶桑社
1262円+税/224頁
装丁:小栗山雄司
イラスト:中川いさみ
ハイレベルな文学作品を二冊続けて読んだ。なのでここでちょっと息抜きに、お気楽なエッセイに手を出してみた。ご存じ第三舞台の鴻上氏が雑誌「
SPA!」に連載していたもの。実は以前に『
ドン・キホーテのロンドン』を読んだので、順序は逆になりますが。ちなみに私の第三舞台歴はあまり長くはありません。「リレイヤーIII」からで、まだ3年くらいでしょうか。それまで演劇というと、やっている人たちが楽しんでいる感じで、観ていてもあまり入り込めないというイメージがあったのですが、仕事でかかわるようになったのを機に観るようになりました。これがなかなかよい。でもねえ、ピークは知らないんですよね。演劇通の元同僚K氏によると「ビー・ヒア・ナウ」がイチ押しだそうですが、どなたかご覧になった方いらっしゃいますか?
それはともかく本の話。こういう雑誌連載のエッセイって後から読むとちょっと辛いところもありますね。例えば「プレステなんて誰が買うんだ!」って言うのがありますが、実際は……ねえ。雑誌に連載を持つ日が来たら、近い将来を予測するのはやめておこう、ってそんな日は来ないか。こういう点では村上龍はすごいのかもしれない。『
すべての男は消耗品である』の古いのを読むと、ちょうど今ごろのことを予測しているのだけれど、結構当たっていたりするので。彼の小説は実はあまり好きではないのだけれど……いわずもがな最近のサッカーエッセイに至っては……。
まあ村上龍についてはまた別の機会に。で、鴻上さんのエッセイですが『ロンドン』の方が楽しく読めた。というのもロンドンというのは私にとっては未知の世界で、なおかつ演劇学校なんて全くわからん。そういった知らない世界でミーアキャットになったりする話は純粋に楽しいのだけれど、『ピアス』の方はオウムとかについて我々はもう十分ニュースで知っちゃっているのに、文章の方はまだあまり情報のない時に書かれたわけだから……。雑誌の連載ってすぐ単行本になったりしますが、文章って生ものだから、雑誌で楽しかったものが本でも楽しいかというとそうではない、ということですね。
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