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『邪眼鳥』 筒井康隆

by TSUTSUI Yasutaka

ISBN-4103145242

1997年/新潮社
1300円+税
208頁
装幀:平野甲賀
高校生までは、面白い本を読んだら、その作家の本を次々と、あるったけ読むという読み方をしていた。星新一から始まって、筒井康隆、阿刀田高、都筑道夫、佐野洋……。何度か書いているけれど、大学時代は小説から離れた時期だった。というのも大学図書館は専門書ばかりだし、手ごろな公立図書館は近所になかったし、買うには限度があるし。卒業して、数年が経って、手ごろな図書館を見つけるころにはいろいろ様子が変わっていた。星新一は亡くなったし、筒井康隆は断筆したし、阿刀田高は、もう『冷蔵庫から愛をこめて』や『ナポレオン狂』のような勢いはなくなっていた。そうこうするうちに、ひとりずつ読み倒す、という本の読み方を忘れてしまいました。先日絶賛した車谷長吉も、次々読みたいという誘惑もありますが、暖めておいて小出しに、という方が強かった。大当たりの次にはずれが出るのもコワイ、というのもあるかもしれません。まあ次々……というには彼は寡作なのでありますが。で、何を読もうかと、図書館の棚の間を徘徊しているうちに発見したのが筒井康隆。ここに通い始めてもう一月以上経つのに、なんと今まで氏の存在を忘れていたのでありました。このことが自分では一番の驚き。書店で何度も買おうかどうか迷った「敵」もあります。でも、図書館での『』は箱から出されてしまいかわいそう。それにあの漢字量は辞書がないときつそうだから電車の中では読めないし……という訳で、まずは復活第一作のこの本に(しかしカバーにデカデカと「復活第一作!」と入れてしまうあたりはすごいね)
この作品では、「復活第一弾」ということを計算ずくなのである。断筆中に、我々は彼のすごさ(恐さ?)を忘れていた。それを知っていて彼は、わざと「普通の小説」のふりをして近づいてくる。彼の本の装幀は、本書を含めて文字だけのことが多いのだけれど、それは彼の本で情景を想像するのが難しいから、写真やイラストといったビジュアルを使いにくいからだと思う。だから平野氏の本の内容を無視したともいえる装幀がピッタリなのだ。そして情景が想像できないのに、入り込めてしまうという摩訶不思議な作品なのである。文字の洪水。が、本書で普通の小説として近づいてきた彼は、我々に情景が想像できているような錯覚を与える。8ページの人名が次々読み上げられるところなんかは、頭の中で声を出して想像してしまう。ここですっかり油断してしまった。鋭い読者なら、その後のお座敷芸のところで気付くのだろうけれど、鈍重にも私は気付かないまま読んでいってしまった。しまった!と思ったのは、息子が子どもの頃を思い出しながら昔見た映画のタイトルをあげていくうちに、いつのまにかそれは父の見た映画になり、父の記憶になっているところ。見事なメタモルフォーゼ。そして時すでに遅し、あとはもう筒井ワールドへなだれ込むしかない。
筒井氏の本は「筒井康隆」というジャンルなのである。『ロートレック荘事件』では、ほう!今回はミステリーかなどと油断しているととんでもないことになった。彼はいきなり殴りかかってくる。寝ている間も容赦なく殴りかかってくる。では起きていようとすると後から殴る。背を向けまいと壁に張り付いていると奇声とともに遠くを指さすから、そちらに目を向けるとその隙に殴る。もう何があっても目をそらすまいとすると、じっとこちらの目を見たままにっこり笑って殴る。それじゃあ狂人ではないかと言うかもしれないが、狂人と天才は紙一重なのだ。それまで文学には天才はあり得ないと思っていた。画家ならばいる。絵は感覚のみで描けるが、文章はそれなりのバックグラウンドがないと書けないはずだからだ。
ところで、ここ数年毎年なのだけれど、年末には面白い本に出会う率が高い。このままでは今年のベストがないぞ、という焦りが呼び寄せるのか?
1999年12月14日(火)15:41 PINO - No comments - No TrackbacksTrackBack用URLTrackBackフォーム
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『ドン・キホーテのピアス』 鴻上尚史

by KOKAMI Shoji

ISBN-4594019501

1996年/扶桑社
1262円+税/224頁
装丁:小栗山雄司
イラスト:中川いさみ
ハイレベルな文学作品を二冊続けて読んだ。なのでここでちょっと息抜きに、お気楽なエッセイに手を出してみた。ご存じ第三舞台の鴻上氏が雑誌「SPA!」に連載していたもの。実は以前に『ドン・キホーテのロンドン』を読んだので、順序は逆になりますが。ちなみに私の第三舞台歴はあまり長くはありません。「リレイヤーIII」からで、まだ3年くらいでしょうか。それまで演劇というと、やっている人たちが楽しんでいる感じで、観ていてもあまり入り込めないというイメージがあったのですが、仕事でかかわるようになったのを機に観るようになりました。これがなかなかよい。でもねえ、ピークは知らないんですよね。演劇通の元同僚K氏によると「ビー・ヒア・ナウ」がイチ押しだそうですが、どなたかご覧になった方いらっしゃいますか?
それはともかく本の話。こういう雑誌連載のエッセイって後から読むとちょっと辛いところもありますね。例えば「プレステなんて誰が買うんだ!」って言うのがありますが、実際は……ねえ。雑誌に連載を持つ日が来たら、近い将来を予測するのはやめておこう、ってそんな日は来ないか。こういう点では村上龍はすごいのかもしれない。『すべての男は消耗品である』の古いのを読むと、ちょうど今ごろのことを予測しているのだけれど、結構当たっていたりするので。彼の小説は実はあまり好きではないのだけれど……いわずもがな最近のサッカーエッセイに至っては……。
まあ村上龍についてはまた別の機会に。で、鴻上さんのエッセイですが『ロンドン』の方が楽しく読めた。というのもロンドンというのは私にとっては未知の世界で、なおかつ演劇学校なんて全くわからん。そういった知らない世界でミーアキャットになったりする話は純粋に楽しいのだけれど、『ピアス』の方はオウムとかについて我々はもう十分ニュースで知っちゃっているのに、文章の方はまだあまり情報のない時に書かれたわけだから……。雑誌の連載ってすぐ単行本になったりしますが、文章って生ものだから、雑誌で楽しかったものが本でも楽しいかというとそうではない、ということですね。
1999年12月14日(火)14:44 PINO - No comments - No TrackbacksTrackBack用URLTrackBackフォーム
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『赤目四十八瀧心中未遂』 車谷長吉

by KURUMATANI Cyokitsu

ISBN-4163174206

1998年/文藝春秋
1619円+税/280頁
装釘:関口聖司
装画:奥村土牛「蓮池」
装釘という表現は初めて見ました。それはおいておいて。
文学賞受賞作って、なんか読んでみるとピンと来ないものが多い。特に直木賞。最近では『鉄道員』。うまく読者を感動させるツボみたいなのを心得ているようだけれど、それが文学としてすぐれているかどうかは別でしょう? それに賞をあげるっていうのもねえ……。
さて本書も直木賞受賞作であります。『いち押しガイド』の去年版で、編集部も含めいろんな人に絶賛されていたので読んでみる気になったのですが、なにせ直木賞が気に入らない。パラパラ中を見てみると、関西弁だし、極道は出てくるしで、『いち押し』がなければ絶対に読まないよな〜と思いながら借りてくる。
が、読んでみると……もうすごいの一言です。ほんとすごいとしか言い様がない。だいたい、タイトルで結末を出しちゃっているのもすごい。この作品において結末は重要ではなくて、そこにひたすら進む流れがすごいというか。流しに落ちた虫はどんなに泳いでも排水溝に流れていくしかないみたいな(作中にはこんな陳腐な比喩はもちろん出てきません、念のため)。文章もすごい。前に読んだ柳美里や同じころに話題になった辻仁成にみられるような、もったいつけてわざと難しい言葉を使っている、という風ではなくて、この人の文章には気迫というか、覚悟のようなものがある。「併し」という表現を多用していて、実は私は最初これが読めなかったのでありますが、これは「しかし」ではダメで「併し」なのだなというのがあるわけ。
すごいというだけで全然説明できていないのですが、とにもかくにもお薦めです。今年の私のいち押し(世の中からは1年遅れか)。
なんか本を選ぶ勘、のようなものを失ってしまったような気がしました。学生のころって、専門書ならいくらでも大学図書館にあるけれども、小説の類いを読もうと思ったら買って読むしかなかった。で、当然お金もないわけだから、書店で迷いに迷って、これだという本を買っていたわけです。社会人になったら、本代なんてそんなに痛くないし、何よりも、暇を潰すための本ならいくらでも会社にあって、あるものを適当に読んでいた、というのがその勘を失わせたのかもしれません。なんか悲しい。
1999年12月14日(火)14:37 PINO - No comments - No TrackbacksTrackBack用URLTrackBackフォーム
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『フルハウス』 柳美里

by YU Miri

ISBN-4163163107

1996年/文藝春秋
1165円+税
装幀:中島かほる
装画:望月通陽
柳美里の本を読むのは実は初めて。作品について知る前に先に彼女自身についての情報があまりに入ってきてしまったせいかもしれません。自殺マニア、不倫、親との不仲……なんかどれもケッという感じだった。だいたい作家がそこまで自分を出してくるなよ。本書も口絵に篠山紀信によるポートレートがあるけれど、これまたケッという感じ。
高校で図書館司書をしている知人Z嬢が以前「この人って典型的ないじめられっ子の顔をしている」と言っていたけれど、確かにそんな気もする。
と、まあ敬遠していたのだけれども、買わないような本を読めるのが図書館のいいところ。最初にこれを選んだのは、たまたまこれしかなかったから。人気あるんですねえ。
で、読んでみる。「フルハウス」と「もやし」の2編。「フルハウス」は例の、お父さんが勝手に家を建てて、そうすれば家族が一緒に暮らすと思っているという、柳の家の話。読んでいないけれど『家族シネマ』もこのネタなんですよね? 私生活をネタにする作家はたくさんいるし、別にそれは悪くない。宮尾登美子の女衒の話なんて、部外者には書けないし、先月読んだ伊藤比呂美も然り。でも伊藤の家が、「子どもたちはどうなったんだろうか」とか心配になってその後を読んでほっとしたりするのに対し、柳の家は「もう、その件はいいよ」という気分になってしまう。
言葉の使い方もなんかうっとうしい。「胡乱に思う」なんて普通使うか? でもこのいちいち気に入らなく思ってしまうところが、Z嬢の言ういじめられっ子の要素なのか?
「もやし」の方は不倫物。で、また著者の話か?と思ってしまう。これがまた、不倫、おかしくなった妻、世間体を気にする姑、見合いの相手は精神薄弱のマザコン、その母は占いを信じ……とよくもまあ不快になるようなものをこんなに集めてきたな、という感じ。小説がエンターテインメントだとしたら、こんな不快なものはイヤだな私は。
と、初めての柳美里は気に入らなかったのだけれど、作家を評価するには最低でも2冊は読むようにしているので(それで山田邦子も横森理香も2冊ずつ読んだ、2冊読んでも評価は変わらず)……でもすぐ次を読む気にはちょっとなれません。またいずれ。
そういえば最近週間ポストで、「妊娠実況中継」みたいなことをやってますが……またまたケッ。
1999年12月14日(火)14:01 PINO - No comments - No TrackbacksTrackBack用URLTrackBackフォーム
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